私たちは「事実」から一瞬で結論へと飛躍しています。その飛躍を見える化するのが「推論のはしご」です。

ある時「彼ははやる気がない」と感じたとします。けれど、その判断は本当に”事実”でしょうか。実は私たちは、目の前の出来事をそのまま見ているようで、かなり早い段階で自分なりの意味づけを加えています。そのプロセスを示したのが、クリス・アージリスらによって知られる「推論のはしご(Ladder of Inference)」です。
これは、「事実」から「行動」に至るまでの心の動きを、はしごを登るように表したモデルです。たとえば、会議で部下が発言しなかったとします。観察できる事実は「発言しなかった」ことだけ。ところが私たちはすぐに「関心がないのだろう」「準備していないのだろう」と推論を始め、最後には「この人に大きな仕事は任せられない」と判断し、実際に機会を与えなくなることさえあります。
問題は、自分が”はしごを登っていること”に気づきにくい点です。「発言しなかった」から「彼はやる気がない」までが、本人の中ではほとんど一瞬でつながっています。冷静に判断しているつもりでも、実際には限られた情報から大胆な意味づけをしているのです。
はしごの流れは、おおまかにこうです。まず現実の出来事があり、その中から私たちは一部のデータを選び取ります。次にそのデータに意味を与え、解釈をつくり、結論を出し、行動します。さらに経験が重なると、「あの人はいつもそうだ」という信念が強化されていきます。
厄介なのは、この「データの選び取り」が人によって大きく違うことです。同じ会議でも、上司は「誰が積極的に発言したか」を見て、若手は「上司がどの発言を拾ったか」を見ているかもしれません。同じ場にいても、見ているものが違うのです。見ているものが違えば、意味づけも変わります。上司には「主体性の低さ」に見える静かな会議も、部下にとっては「言っても否定される」「まだ考えがまとまっていない」という慎重さかもしれません。人は、自分の推論を”事実”だと思い込みやすいのです。
では、どうすればよいのでしょうか。第一歩は、「私は今、どの段を登っているのか」と問いかけることです。「彼は人はやる気がない」と感じたら、すぐ結論へ飛ばず、「実際に見聞きした事実は何か」と戻ってみます。発言が少なかったのか、締切が遅れたのか。まず、観察できる事実に立ち返るのです。
次に、「その事実に、私はどんな意味をつけたのか」と考えます。発言の少なさを「関心がない」と解釈したけれど、「慎重に聞いていた」「タイミングを探していた」という別の見方はないか。複数の可能性を置くことで、自分の見方が絶対ではないと気づけます。
さらに大切なのは、相手に確かめることです。「今日はあまり発言がなかったように見えたけれど、何が起きていましたか」と聞いてみる。「なぜ発言しなかったのですか」と詰問調になると相手は身構えます。判断をぶつけるのではなく、観察と関心を伝えるのがポイントです。
特に管理職が注意したいのは、自分の結論の強さです。立場が上がるほど、自分の解釈が組織の現実をつくってしまいます。「彼は頼りない」と思えば機会を与えなくなり、機会がないから成長せず、「やはり頼りない」という信念が強まる。推論のはしごが自己成就的に働く典型例です。
推論のはしごは、「人は誤解するものだ」と悲観するためのモデルではありません。むしろ「私たちは意味をつくる存在である」と理解するためのものです。人は経験に意味を与え、物語をつくり、その物語に従って行動します。だからこそ良い対話とは、相手の物語を否定することではなく、それがどう生まれたのかを一緒にたどることなのです。
何か違和感を覚えたとき、結論を出す前に少し立ち止まる。「いま私は、どんなはしごを登っているのだろうか」。この小さな問いが対話の質を変え、関係性を変え、やがて組織の学習能力そのものを高めていきます。
