コラム「経営に『こころ』を持ち込む」 その1 「ある経営者の独白」―会議が終わった、その夜に

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会議室のドアが静かに閉まった瞬間、オフィスには、思った以上に大きな静けさが残った。さっきまで、あれほど言葉が飛び交っていたのに。ホワイトボードに書かれた戦略キーワードも、PowerPointのスライドも、「では、この方針で進めましょう」という合意の言葉も、今はもう、音を失っている。

腕時計を見る。21時18分。

今日の経営会議は、予定より30分早く終わった。議論は荒れなかった。誰も声を荒げなかった。反対意見も、想定の範囲内だった。むしろ、うまくいった会議だったはずだ。それなのに、なぜか胸の奥がざわついている。

「本当に、これでよかったのか?」

その問いが、はっきりと言葉になる前に、彼は資料をカバンにしまい、会議室を後にする。廊下を歩きながら、さっきのやりとりが頭の中でリプレイされる。

あのとき、営業責任者が一瞬、言葉を飲み込んだように見えた。あの沈黙には、何か別の意見があったのではないか。しかし彼は、結局「理解しました」とだけ言った。

技術部門のトップは、終始うなずいていた。合理的には正しい。数字も合っている。だが、なぜかそのうなずきが、どこか遠く感じられた。

「納得していないわけではない」「でも、心から腹落ちしているわけでもない」そんな状態が、会議室の空気として残っていた気がする。

―いや、気のせいかもしれない。

自分は経営者だ。すべての人の感情を完璧に拾えるわけがない。最終判断を下す立場にいる以上、誰かが不満を持つのは避けられない。理屈では、そう分かっている。

エレベーターに乗り、1階へ降りる。ガラス張りのエントランスには、夜の街の灯りが映っている。外に出ると、少し冷たい空気が頬に触れた。車に乗り込み、エンジンをかける。ナビの画面が点灯し、「目的地を設定してください」という無機質な声が響く。目的地。自宅。

ハンドルを握りながら、ふと、こんな考えがよぎる。「この判断で、誰かのキャリアを大きく変えてしまうかもしれない」「もしかしたら、誰かのやる気を、静かに削いでいるかもしれない」

だが、それを会議の場で口にすることはない。できない、というより、してはいけない気がする。経営の場で、そんな”揺れ”を見せていいのか。トップが迷っている姿をさらしていいのか。だから彼は、合理性の言葉を選び、数字とロジックで判断を語り、「正しい決定」を下す。それが、彼に求められてきた役割だからだ。

信号待ちの赤いランプを見つめながら、ふと、今日一日の自分を振り返る。

胸の奥に残る、この違和感は何だろう。

家に着き、リビングの灯りをつける。家族はすでに寝ている。静まり返った空間に、スーツを脱ぐ音だけが響く。書斎の椅子に腰を下ろし、今日使った資料を、もう一度開いてみる。

―どこにも問題はない。

戦略は筋が通っている。リスクも洗い出してある。代替案も検討済みだ。「これ以上、何を考える必要がある?」そう自分に問いかけながらも、ページをめくる手が止まる。

頭ではなく、別のところが、何かを訴えている。それは、数字でも、ロジックでも、KPIでもない。言葉にしようとすると、すり抜けてしまう。
だが、確かにそこにある。

彼は、自分にこう言い聞かせる。

「経営に感情を持ち込んではいけない」
「心で判断するのは危険だ」
「合理性こそが、組織を守る」

その言葉を、これまで何度も使ってきた。部下にも、自分にも。しかし今夜だけは、その言葉が、どこか空虚に響いている。

もし、あの会議の場で、誰かが言葉にできなかった違和感があったとしたら。もし、自分自身が感じていた小さな引っかかりを、最初から無視していたとしたら。その積み重ねが、いつか組織を、静かに弱らせていくのだとしたら。

―自分は、何を見ないようにしているのだろう。

彼が今夜感じている、その違和感こそが、組織の未来を左右する、最も重要な情報なのだとしたら―。